Nov 04 2009
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なんていうか、これから社会起業家を目指すとか言っているやつが、学生時代に世界を放浪していて、これこれなにがしの問題を発見したから解決しようっていうストーリーを描いてしまうのは、もはや痛々しく僕は思うね。2002年くらいにそういうことを言っていた人達にはオリジンを感じたけれど。もはやフォーマットの上に乗っからねばなにもできないと言っているに等しい。
その社会起業家なるキーワードを最初に見たのは2002年頃のHOTWIREDのページでだった。その発信者であるETICはいつまで同じことを繰り返すんだろうか?もはや社会起業家シールを発行すればいいって段階は過ぎたのではないだろうか。社会起業家という言葉で彼らを記号化してしまうことは、あの時点では大変有用なことであったかもしれないが、もはや時代は変わってきている。社会起業家なる言葉が作り出された背景に、どこか選民思想を感じてしまうのは僕だけだろうか。
社会起業家という言葉が嫌いな人はけっこう多いのではなかろうか。社会起業家自身は大変意味のある活動をしているとしても、周りの人間がそれをあまり好ましくなく思う風潮を作り出してしまうという悲劇。そもそも元を辿れば、ソニーだってその設立趣意に書いてあるのは、社会起業そのものなのである。それをわざわざ「社会」起業とソーシャルだの社会だのと飾りをつけなければ経済、ひいては経国済民するための活動が行えないというくらい乖離していること自体がそもそも問題なのであるし、ここでいう社会起業的なマインドを持たずに起業を志すなどという輩は、マネーゲームに参加しているだけの不届き物であると言われても仕方ないだろう。