なんていうか、これから社会起業家を目指すとか言っているやつが、学生時代に世界を放浪していて、これこれなにがしの問題を発見したから解決しようっていうストーリーを描いてしまうのは、もはや痛々しく僕は思うね。2002年くらいにそういうことを言っていた人達にはオリジンを感じたけれど。もはやフォーマットの上に乗っからねばなにもできないと言っているに等しい。
その社会起業家なるキーワードを最初に見たのは2002年頃のHOTWIREDのページでだった。その発信者であるETICはいつまで同じことを繰り返すんだろうか?もはや社会起業家シールを発行すればいいって段階は過ぎたのではないだろうか。社会起業家という言葉で彼らを記号化してしまうことは、あの時点では大変有用なことであったかもしれないが、もはや時代は変わってきている。社会起業家なる言葉が作り出された背景に、どこか選民思想を感じてしまうのは僕だけだろうか。
社会起業家という言葉が嫌いな人はけっこう多いのではなかろうか。社会起業家自身は大変意味のある活動をしているとしても、周りの人間がそれをあまり好ましくなく思う風潮を作り出してしまうという悲劇。そもそも元を辿れば、ソニーだってその設立趣意に書いてあるのは、社会起業そのものなのである。それをわざわざ「社会」起業とソーシャルだの社会だのと飾りをつけなければ経済、ひいては経国済民するための活動が行えないというくらい乖離していること自体がそもそも問題なのであるし、ここでいう社会起業的なマインドを持たずに起業を志すなどという輩は、マネーゲームに参加しているだけの不届き物であると言われても仕方ないだろう。
社会起業家という言葉が嫌いなんだ! | tamalog (via rajendra) (via otsune) (via nosouth) (via bo-rude)
ぼくも狭義の「社会起業家」にはそろそろ飽きてきたんだけど、企業がより公共性を意識し、公共目的を持った団体がより事業性を意識するって動きの中で、企業にもNPOにもより広く社会性や公共性がまぶされていく──みたいなより深いトレンドの表層部分なんだと思うよ。
(via nakanohajime) 自分が社会起業家の言葉を知ったのは2000年10月のPEN。 結構魅力的な記事だった。 もう9年も経ってしまったけれど、結局、「ビジネスの中で、それにかかわる人をいかに意識するか」ということかなと思ってる。それは儲かる儲からない、生活に余裕のあるなしには関係ない。 売り手は買い手を、買い手は売り手を。 簡単なようで難しい商売の基本。