ばかな年寄りがいる。わしらが経験したような大きな災難を経験しないうちは、人は大人になれない、なんてのたまうやつらだ。大きな災難というのは大恐慌や、第二次世界大戦や、ヴェトナム戦争なんかのこと。作家たちのせいで、こういう破壊的な(自殺的とは言わないまでも)神話が出来上がってしまった。数えきれないほどの小説のなかで、災厄をくぐり抜けた主人公が最後にこう言う。「今日、わたしは女になった。今日、おれは男になった。おしまい」
わたしは第二次世界大戦から戻ってきたとき、ダンおじさんに背中をたたかれて、こう言われた。「おまえもこれでようやく男になったな」わたしはおじさんを殺した。実際に殺したわけじゃないが、殺したい、とたしかに思った。
ダンおじさんはいやな男だった。男は戦争に行かないと一人前じゃないなんて、ひどい言い種だと思う。
しかしわたしにはいいおじもいた。もう亡くなったアレックスおじさんだ。父の弟で、ハーヴァード出身で子どもがなく、インディアナポリスでまっとうな生命保険の営業をやっていた。本好きで、頭がよかった。おじさんの、ほかの人間に対するいちばんの不満は、自分が幸せなのにそれがわかっていない連中が多すぎるということだった。夏、わたしはおじといっしょにリンゴの木の下でレモネードを飲みながら、あれこれとりとめもないおしゃべりをした。ミツバチが羽音を立てるみたいな、のんびりした会話だ。そんなとき、おじさんは気持ちのいいおしゃべりを突然やめて、大声でこう言った。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」
だからわたしもいま同じようにしている。わたしの子どもも孫もそうだ。みなさんにもひとつお願いしておこう。幸せなときには、幸せなんだなと気づいてほしい。叫ぶなり、つぶやくなり、考えるなりしてほしい。「これが幸せじゃなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」と。
『国のない男』カート・ヴォネガット著 金原瑞人訳 NHK出版
(p138~140)